口パク
イヤフォン
マスクで
電車内
これでいつもの一人舞台
席ある車内で あえて立つ
耳元には大音量
マスクで隠れた 口パクと
ゆれる体は 電車とともに
ドア窓に姿 悦に入り
握り拳で無声のシャウト
我を忘れているうちに
ドアが開いて対面視線
降りるつもりのなかった駅で
気持ちと耳には
Rock Around the Clock
春夜
春眠暁を覚えずというが、
暁に就寝する習慣の自分には縁遠いことだ
赤ん坊の頃から野生動物のように夜半に活動する性質は
何をもって決められたのか知りたいところだ
何もしないと食べていけないし
霞を喰ってもさほど旨くはないので
時折に仕事というものをしている
その作業には闇夜がもってこいなのだが・・・
丑三つ時にもコンビニは開いているし
何でもいいならテレビ番組も放映している
がゆえに、
暗闇の趣は我が収入とともに少なくなったなと思うのだ
そんな明るさの真夜中の現代でも、
寝床に入る頃に窓を開けると古(いにしえ)を追体験できる
春はあけぼの
やうやう白くなりゆく住宅街 少し明かりて
闇夜にする仕事だからといって泥棒ではないぞ
もっと他のまっとうな職業としてやってるぞ
天を仰いで
本日は古典から春を三本引用させていただいたナリ
80年代
最近よく80年代の映画を観ている
テレビでも放映しているからマイブームだけではない
描写の時々に時代だなぁと思うことがあるが、
それを上回るぐらいの内容に改めて感心している
結末を知っているのに毎回感動してしまうのだ
その時々の精一杯をもって創られたものは、
いつの時代のどの人にも訴える何かがあるんだろうな
いつも鍋で炊く玄米がかなり上出来だった今宵、
何もかもを噛み締めながらゆるりと人生を考えるナリ
80年代に生きてみたかったな
旅
漢字の練習で一向に上手くならない字がある
旅
右側が、起床時の髪の寝癖のように落ち着かない
なんでこんな形なんだろうって調べたら、
左に軍旗を持った衆人(大勢の人)だそうな
あー、だから添乗員が旗持って引率してるのか
納得
翻訳機
昨今は語学能力が無くとも翻訳機なるものが有る。
用を済ます程度の日常会話ならほぼ間違いなく通じる訳が出るようになった。
なのでもしかしたら自分の書いた小説も自分で翻訳できるのではないかと考えた。
そこでちょっと試してみた。
『 私は変わっていると言われます。いわゆる、変人です。』
日本語 → 英語 → マレー語 → トルコ語 → アゼルバイジャン語 →
韓国語 → スワヒリ語 → フィンランド語 → タガログ語 → 日本語
『 彼らは私が変だと言った。これは変と呼ばれます。』
ま、意味はだいたいそうだが、無機質な文章だな。
やっぱ小説は自分の言葉で書こう。
ピューリッツァ賞(注1)を取れるのはいつになることやら。
(注1)自分で応募可