口パク


イヤフォン

  マスクで

    電車内


これでいつもの一人舞台



  席ある車内で あえて立つ



   耳元には大音量


 マスクで隠れた 口パクと


  ゆれる体は 電車とともに



   ドア窓に姿 悦に入り

  握り拳で無声のシャウト


我を忘れているうちに

       ドアが開いて対面視線



降りるつもりのなかった駅で

    

  気持ちと耳には


Rock Around the Clock






やきめし

 

やきめしがすきだ

 

チャーハンは炒めてあるからちょっとちがう

 

アメリカのチャイニーズレストランのそれは油ぎっている

さすがフライドライス(油で炒められた飯)というだけある

 

 

○○食堂という名の昔ながらの店でやきめしを頼んだ

 

ちゃんと焼いてあった

焼き目で香ばしい米粒の箇所があった

 

やきめしとは焼き飯なんだな

 

 

さっきフライパンで

生米をバターで炒めて

塩昆布入れてそのまま炊き、

水分飛ばすのに焼いた

 

 

うまいんだが

これはなに飯なのだろう

 

 

 

 

 

晴耕雨読

 

大雨だった

休日だった

 

さして予定もなかったので

読みかけの本を手にした

 

海外の友人が書いた小説だ

 

外国語なので字面は読めるがすぐに意味全体がわかるわけではない

三文読んでは二文戻り

けっこう時間がかかった

 

 

その感覚は、小学校低学年の頃の読み方を思い起こされる

数時間かけて一冊読めた偉人伝

今ならゆっくり読んでも10分で読める分量

 

いつの間にそんなにはやく読めるようになったのだろうか

 

 

その時も今日も同じ、

雨で外で遊べなくて、

部屋でゴロゴロ寝ころんで、

 

贅沢な時間

 

 

晴耕雨読

 

 

 

 

 

 

星に願いを

 

けっこうクソ真面目でビビリなところがあるもんで、

これまでに神さまにお願いなんぞはしたことがない。

たしか、ほとんど。

ご挨拶はするのだが。

 

ただ、幼少期に一つだけ真剣に、ある程度の期間にずっと願っていたことがある。

 

『 大人になったら百貨店の地下のおかずを全部買って

  道に住んでる人らと一緒に食べたら、一口ずつ味見できるなぁ 』

 

いずれに焦点を置いても近江商人三方よし的な願いではないか。

一生に一度くらいはそんな壮大なことを願ってもいいだろう。

 

 

宇宙のように壮大な夢。

 

叶いますように。

 

 

星に願いを

 

 

 

 

 

春夜

 

春眠暁を覚えずというが、

暁に就寝する習慣の自分には縁遠いことだ

 

赤ん坊の頃から野生動物のように夜半に活動する性質は

何をもって決められたのか知りたいところだ

 

何もしないと食べていけないし

霞を喰ってもさほど旨くはないので

時折に仕事というものをしている

その作業には闇夜がもってこいなのだが・・・

 

丑三つ時にもコンビニは開いているし

何でもいいならテレビ番組も放映している

 

がゆえに、

暗闇の趣は我が収入とともに少なくなったなと思うのだ

 

そんな明るさの真夜中の現代でも、

寝床に入る頃に窓を開けると古(いにしえ)を追体験できる

 

 

春はあけぼの

やうやう白くなりゆく住宅街 少し明かりて

 

 

闇夜にする仕事だからといって泥棒ではないぞ

 

 

もっと他のまっとうな職業としてやってるぞ

 

 

 

天を仰いで

 

 

 

 

 

  本日は古典から春を三本引用させていただいたナリ

 

 

 

 

占い

 

友人がひどく落ち込んでいる

 

ここ何ヶ月か沈んだままだ

なんでも、占いで死が出ていると言われたかららしい

それが本人にも殊の外ショックだったそうで、

もともと気丈な性格に見えていただけに

なぐさめようもない

 

 

しかしだな、

そりゃ誰でも生きるか死ぬかはいつ何時でも五分五分の確率なんだがな

 

ただ、意識してしまうかしなくてすんだのかの違いだろう

なんてのは楽天的なのだろうか

 

 

どうすれば友人を元気づけられるかな

 

 

そうだ、占いをしてあげよう

 

実はたまにする占いはよく当たる

本当によく当たる

 

 

 

下駄を取ってこよう

 

 

晴れか雨を

生きるか死ぬかに置き換えたら簡単だな

 

 

 

 

 

 

80年代

 

最近よく80年代の映画を観ている

 

テレビでも放映しているからマイブームだけではない

 

 

描写の時々に時代だなぁと思うことがあるが、

それを上回るぐらいの内容に改めて感心している

結末を知っているのに毎回感動してしまうのだ

 

 

その時々の精一杯をもって創られたものは、

いつの時代のどの人にも訴える何かがあるんだろうな

 

 

 

いつも鍋で炊く玄米がかなり上出来だった今宵、

何もかもを噛み締めながらゆるりと人生を考えるナリ

 

 

 

80年代に生きてみたかったな

 

 

 

 

 

 

春風

 

       突風をくらった。

 

 

  ああ! なんてこと!

 

        野口英世先生ーーーーーーーー!!!

 

 

           そんなに遥か彼方にお行きになるのですかぁーーー!!!!!

 

 

    とおく遠くとおく遠くとおく・・・・・

 

                     そして着地。

 

  

 

     救出してしまうと住居侵入罪になる・・・・・。

 

 

 すこし考える。

    自分ん家の庭で野口先生が佇んでいらっしゃるのに出会ったら。

         

 

 

            春風とともに人様にお楽しみを。

 

 

 

 

教訓:屋外で財布を開いて紙幣を取り出さない

 

実践:武士は食わねど高楊枝

 

 

 

 

 

 

 

神仏習合

 

  神仏習合を知った。

 

 

  そのあと高級スーパーに行った。

 

  並んだレジの前にマダムがいらした。

 

  首に F の字のあるスカーフをなさり、

  左向きCと右向きCが背中で重なったバッグから、

  V と Lが合わさった財布を出しておられた。

 

 

 

  神仏習合がよくわかった。

 

 

 

 

 

漢字の練習で一向に上手くならない字がある

 

      旅

 

右側が、起床時の髪の寝癖のように落ち着かない

 

 

なんでこんな形なんだろうって調べたら、

左に軍旗を持った衆人(大勢の人)だそうな

 

 

あー、だから添乗員が旗持って引率してるのか

 

 

      納得

 

 

 

 

今日の献立

 

小さめで薄めな削ぎ切りの砂肝とやや大量のくし切り玉ねぎのみのカレー

 

ルーは茶色より黄色寄りでシャバシャバをおすすめ

 

 

 『俺っちは旨手持ちかもしれないな』 と自画自賛

 

 

 

   旨手(うまで):美味しいものを作れる手のこと

 

 

 

 

 

ハプスブルク家

 

舌触り、手触り、肌触り

 

そのようなよいニュアンスで口元に転がる言葉がある

 

   ハプスブルク家

 

 

いつの頃からか

時折唱えるように呟いては口元を喜ばせている

 

   ハプスブルク家

 

     カタカナぶつ切りの発音でだが

 

 

 

え? 正式な発音でないと耳障りですか?

 

こんな記事も目障りですか?

 

 

 

スンマセン、確かに僕ん家の家系とはまーーーったく関係アリマセン

 

 

   ハプスブルク家

 

 

しばらくアナタの脳内をグルグル

 

 

 

 

 

翻訳機

 

昨今は語学能力が無くとも翻訳機なるものが有る。

用を済ます程度の日常会話ならほぼ間違いなく通じる訳が出るようになった。

なのでもしかしたら自分の書いた小説も自分で翻訳できるのではないかと考えた。

 

 

そこでちょっと試してみた。

 

『 私は変わっていると言われます。いわゆる、変人です。』

 

日本語 → 英語 → マレー語 → トルコ語 → アゼルバイジャン語 →

 韓国語 → スワヒリ語 → フィンランド語 → タガログ語 → 日本語

 

『 彼らは私が変だと言った。これは変と呼ばれます。』

 

 

ま、意味はだいたいそうだが、無機質な文章だな。

 

 

 

やっぱ小説は自分の言葉で書こう。

  

ピューリッツァ賞(注1)を取れるのはいつになることやら。

 

 

 

 

(注1)自分で応募可